『ツァラトゥストラかく語りき』の駱駝・獅子・幼子、永劫回帰や運命愛から、自分らしく生きる意味を考察します。異業界への転職経験や『NARUTO』、『ケセラセラ』を交え、他人から借りた価値や選べなかった運命を、自分の人生として編集する方法を解説します。
みなさんこんにちは!
サラリーマンの大樹です。
みなさんは、
今の人生を、自分で選んだと言えるでしょうか。
今の会社。
今の仕事。
目指している役職。
住んでいる場所。
付き合っている人。
結婚という選択。
もちろん、
誰かに無理やり決められたものばかりではないと思います。
自分で応募した会社かもしれない。
自分で選んだ仕事かもしれない。
自分で決めた結婚かもしれない。
それでも、
ふと立ち止まったとき、
こんな違和感を覚えることはないでしょうか。
自分で決めたはずなのに、誰かが作った正解を歩いている気がする。
良い学校へ行く。
安定した会社へ入る。
昇進する。
収入を上げる。
結婚する。
家を買う。
老後に備える。
どれも悪いことではありません。
人生を豊かにしてくれる選択も多いでしょう。
問題は、
それを自分が本当に望んでいるのか。
それとも、
望むべきものとして受け入れているのか。
その違いです。
僕自身、
以前勤めていた食品メーカーに、
大きな不満があったわけではありませんでした。
営業の仕事にも慣れていました。
業界の知識も増えていました。
周囲との関係もできていました。
そのまま働き続ける人生も、
十分に現実的でした。
それでも、
心のどこかに違和感がありました。
このまま同じ場所で経験を積み続けることを、
自分は本当に選んでいるのか。
それとも、
これまで積み上げたものを失いたくないだけなのか。
そんなことを考えていたときに読んだのが、
フリードリヒ・ニーチェの
『ツァラトゥストラかく語りき』でした。
一般に、
『ツァラトゥストラはかく語りき』
『ツァラトゥストラはこう語った』
などの題でも知られている作品です。
簡単に読める本ではありません。
物語のように進みながら、
突然、哲学的な言葉が投げかけられます。
一度読んだだけでは、
理解できない箇所も多くあります。
ただ、
この本は正しい生き方を教えてくれる本ではありませんでした。
むしろ、
自分が正しいと思っているものは、
本当に自分で選んだものなのか。
その問いを、
何度も突きつけてくる本でした。
そして僕は、
一つの考えにたどり着きました。
人生は、正解探しではない。価値編集である。
人生は、
何も書かれていない白紙から始まるわけではありません。
生まれた場所。
家族。
学校教育。
社会の常識。
他人からの期待。
成功した経験。
失敗した経験。
自分では選べなかった素材が、
最初からたくさん置かれています。
その素材をすべて捨てて、
ゼロから人生を作ることはできません。
だから必要なのは、
どこかにある本当の自分を探し続けることではない。
すでにある素材を、
自分の価値観で編集し直すことです。
この記事では、
ニーチェが描いた駱駝、獅子、幼子という精神の変化。
人間を一本の綱として捉える考え方。
永劫回帰。
そして、
ニーチェ思想における運命愛。
そこに、
僕自身の異業界転職や、
『NARUTO -ナルト-』、
Mrs. GREEN APPLEの『ケセラセラ』も重ねながら、
自分の人生を自分の作品にするとはどういうことかを考えていきます。
自分の人生を誰が決めているのか。
その問いを真正面から突きつけてくるのが、
『ツァラトゥストラかく語りき』です。
簡単に答えが見つかる本ではありません。
だからこそ、
仕事や環境が変わるたびに、
何度も読み返したくなる一冊です。
他人から借りた正解は、選び直して初めて自分の価値になる
僕たちは、
子どもの頃から多くの正解を教わります。
勉強した方がいい。
良い学校へ行った方がいい。
安定した会社に入った方がいい。
上司の期待に応えた方がいい。
結婚した方がいい。
貯金した方がいい。
人に迷惑をかけてはいけない。
それらの多くは、
生きていくうえで役に立つ教えです。
僕自身も、
努力すること。
約束を守ること。
周囲に配慮すること。
責任を持って仕事をすること。
こうした価値観を、
家族や学校、会社から教わってきました。
そのおかげで、
今の自分があるとも思っています。
だから、
他人から教わった価値観を持つこと自体が、
悪いわけではありません。
人は最初から、
自分だけの価値観を持って生まれてくるわけではないからです。
まずは誰かの考え方を借りる。
社会のルールを学ぶ。
先に生きている人の知恵を受け取る。
そうやって、
自分が立つための土台を作っていきます。
ただし、
いつかは問い直さなければなりません。
自分が大切にしているその価値は、
誰から教わったものなのか。
今も自分に必要なのか。
自分の意思で選び直しているのか。
それとも、
昔教わった正解を、
考えずに持ち続けているだけなのか。
他人から教わった価値も、
自分で選び直せば自分の価値になります。
反対に、
自分で決めたように見える選択でも、
周囲の目だけを基準にしていれば、
まだ他人の価値の中にいます。
大切なのは、
何を選ぶかだけではありません。
なぜ、それを選ぶのか。
その理由を、
自分の言葉で説明できるかどうかです。
「まあまあ」は、自分で選ばなければ停滞になる
仕事は、
ものすごく楽しいわけではない。
でも、
辞めたいほど嫌なわけでもない。
給料にも、
強い不満があるわけではない。
休日はそれなりに楽しい。
人間関係も、
耐えられないほど悪くはない。
だから、
まあまあ幸せ。
こうした生き方を、
否定するつもりはありません。
穏やかな日常を大切にする。
大きな挑戦より、
安定した暮らしを選ぶ。
家族との時間を優先する。
どれも立派な価値観です。
問題は、
「まあまあ」を自分で選んだのか。
考えることから逃げるために、
「これで十分だ」と言い聞かせているのか。
その違いです。
ニーチェの思想には、
ニヒリズムという言葉がよく登場します。
ニヒリズムというと、
人生に絶望している人を想像するかもしれません。
何をしても意味がない。
生きる価値がない。
そんな極端な状態です。
しかし、
現代のニヒリズムは、
もっと静かな形で現れるのではないかと思います。
仕事に追われる。
休日は疲れて寝る。
動画やSNSを眺める。
また月曜日が来る。
大きな不満はない。
でも、
何のために続けているのかは考えない。
考えてしまうと、
何かを変えなければならない気がするからです。
もちろん、
毎日人生について考え続ける必要はありません。
忙しい時期もあります。
目の前の生活を守るだけで精いっぱいなときもあります。
ただ、
何年も選び直さないまま、
同じ日々を繰り返しているなら、
一度立ち止まる必要があります。
安定は停滞ではない。
選び直すことをやめた安定が、停滞になる。
今の会社に残ることも、
自分で選び直せば立派な選択です。
今の生活を守ることも、
自分が大切にしたいものを理解したうえで決めるなら、
他人の正解ではありません。
重要なのは、
変えることではない。
自分の意思で、
もう一度選ぶことです。
人はまず、他人から借りた価値を背負って生きる
『ツァラトゥストラかく語りき』には、
精神が三つの変化を遂げる場面があります。
駱駝(ラクダ)。
獅子(ライオン)。
幼子。
最初に登場する駱駝は、
重い荷物を背負う存在です。
努力。
責任。
義務。
常識。
他人から与えられた期待。
駱駝は、
それらを引き受けながら、
自分の力を鍛えていきます。
この駱駝を、
悪い存在として捉えるべきではないと思います。
仕事をするうえでは、
責任を背負う必要があります。
自分がやりたいことだけを優先していたら、
組織は成り立ちません。
面倒な仕事も引き受ける。
約束を守る。
苦手なことから逃げない。
こうした経験を通じて、
人は力を身につけます。
僕も食品メーカーで働いていた頃、
営業の基本を多く学びました。
相手の話を聞くこと。
準備を怠らないこと。
社内の人を巻き込むこと。
結果が出ないときも、
自分の役割を放棄しないこと。
こうした姿勢は、
現在の仕事にもつながっています。
つまり、
他人から教わった価値を背負う時間は、
無駄ではありません。
人は、
誰かの価値を借りながら成長します。
駱駝の本当の問題は、
他人の価値を背負うことではない。
背負っている価値の出所を忘れることです。
「努力しなければならない」
「出世しなければならない」
「忙しい人ほど価値がある」
「安定した会社を辞めてはいけない」
それは、
本当に自分が大切にしたい価値なのか。
親から言われたことなのか。
上司に評価されるために身につけたものなのか。
周囲から遅れていると思われたくないだけなのか。
出所を理解したうえで、
もう一度自分で選ぶ。
そうすれば、
借りていた価値は、
自分の価値になります。

正解を疑うには、積み上げた自分を手放す覚悟がいる
駱駝の次に、
精神は獅子へ変わります。
獅子は、
「こうするべきだ」という命令に対して、
「自分はこうしたい」と意思を示します。
ただし、
獅子はまだ新しい価値を創る存在ではありません。
獅子が獲得するのは、
古い価値へ従わない自由です。
自分が当たり前だと思っていたものを疑う。
誰かが作った正解に、
必ずしも従う必要はないと気づく。
新しい価値を創るための場所を、
まず確保するのです。
ただ、
実際に自分の正解を疑うことは、
簡単ではありません。
疑う対象は、
社会の常識だけではないからです。
これまで努力してきた自分。
積み上げてきた経験。
周囲から受けてきた評価。
それらまで、
一度手放さなければならないことがあります。
僕が食品メーカーからコンサル業界への転職を考えたとき、
最も怖かったのは、
新しい仕事が難しそうだったことだけではありません。
食品メーカーでは、
業界のことが少しずつ分かるようになっていました。
どのように話を進めればいいか。
どこで社内調整が必要になるか。
相手が何を気にするか。
経験を重ねたことで、
仕事の見通しを持てる場面も増えていました。
一方、
コンサル業界へ行けば、
扱うテーマも違います。
顧客が求める答えも違います。
会話の中で使われる言葉も違います。
これまでと同じやり方が、
通用する保証はありません。
転職しなければ、
積み上げてきた経験をそのまま伸ばせる。
転職すれば、
また知識を入れ直さなければならない。
失敗しても、
誰かに命令されたわけではない。
自分で選んだ責任が残ります。
怖かったのは、失敗することだけではありません。
これまで積み上げてきた自分を、一度手放すことでした。
実際に転職してみると、
前職で培った、
顧客や業界を徹底的に調べる姿勢は、
今の仕事でも役立ちました。
一方で、
扱うテーマや顧客が求める答えは変わりました。
以前の知識を持っているだけでは、
会話についていけません。
新しい業界の言葉を学ぶ。
顧客の経営課題を理解する。
提案の組み立て方を考え直す。
一から学び直す必要がありました。
過去の経験が、
無駄だったわけではありません。
ただし、
その経験をそのまま持ち込むのではなく、
新しい仕事で使える形へ変換する必要がありました。
だから僕は、
覚悟とは恐怖が消えることではないと思っています。
転職すると決めても、
不安は消えません。
選択した後も、
正しかったのか迷います。
それでも、
誰かに正解を保証してもらうのではなく、
自分で決めたものとして進む。
覚悟とは、不安がなくなることではない。
不安ごと、自分の選択として引き受けることだ。
ただし、
獅子になることは、
転職することではありません。
今の会社へ残ることもできます。
一度外の選択肢を考え、
自分が何を大切にしたいのかを問い直したうえで、
この会社で働き続けたいと選ぶ。
それも、
自分の価値を取り戻した選択です。
反対に、
周囲が転職しているから。
成長しているように見られたいから。
今の環境が嫌だから。
それだけで転職しても、
別の正解に乗り換えただけかもしれません。
獅子とは、環境を変える人ではない。
自分を動かしている価値を、一度疑える人です。
壊すだけでは、自分の人生は始まらない
獅子は、
古い価値に従わない自由を獲得します。
しかし、
古い価値を否定するだけでは、
自分の人生は始まりません。
会社を辞める。
親の期待を拒む。
世間の常識と違うことをする。
上司の考えを否定する。
そうした行動には、
勇気が必要です。
ただ、
誰かに反発することだけを理由に生きていると、
嫌っている相手が、
人生の中心に残り続けます。
上司と反対のことをする。
親が望まなかった道を選ぶ。
世間と違う生き方を見せようとする。
一見、
自由に見えるかもしれません。
しかし、
判断の基準が相手にある限り、
まだ自分で価値を創ってはいません。
他人の正解を否定するだけでは、まだ他人が主人公です。
僕自身も、
前の会社で経験したことを、
すべて古いものとして扱おうとした時期がありました。
違う業界へ来たのだから、
前職の考え方は捨てなければならない。
新しい環境のやり方へ、
完全に切り替えなければならない。
そう考えていたのです。
でも、
それも極端でした。
顧客の話を聞くこと。
社内の協力を得ること。
相手の状況を調べること。
食品メーカーの営業で学んだことの中には、
業界が変わっても使えるものがありました。
必要だったのは、
過去を否定することではない。
過去の経験を、
今の環境に合う形へ作り直すことでした。
古いものを壊すだけではなく、
残すものを選ぶ。
使い方を変える。
意味を変える。
そこまで進んで、
初めて自分の人生が始まります。
自分らしさは、選択と責任の中で創られる
駱駝。
獅子。
その次に登場するのが、
幼子です。
幼子は、
新しい始まり。
遊び。
創造。
人生への肯定を象徴します。
過去のルールに縛られず、
新しい価値を創る存在です。
ただし、
幼子を
「好きなことだけをして生きる存在」
と捉えるのは違うと思います。
自分の価値を創るということは、
自由になることです。
同時に、
正解を保証してくれる人がいなくなることでもあります。
会社が決めた正解。
親が決めた正解。
社会が決めた正解。
それに従っている間は、
失敗したときに、
「そうするべきだと言われたから」
と説明できます。
しかし、
自分で価値を創れば、
結果まで自分で引き受けなければなりません。
自分らしく生きるとは、
嫌なことから逃げることではない。
責任を持たなくていい状態でもない。
自分が何を大切にするかを決め、
その選択に伴う負担も引き受けることです。
僕は、
転職したことで、
過去の自分を捨てたわけではありません。
食品メーカーで得た経験を、
コンサル営業で使える形へ編集しました。
一方で、
新しい環境で必要な知識は、
一から学び直しました。
過去を守るのでも、
過去を捨てるのでもない。
必要なものを残し、
不要なものを外し、
新しい経験を加えていく。
だから大樹はこう考えます。
人生は、正解探しではない。価値編集である。
ここでいう価値編集とは、
過去を消すことではありません。
自分の人生にある素材から、残すもの、手放すもの、意味を変えるものを、自分の意思で選び直すこと。
それが、
人生を自分の作品へ変えていく方法だと考えています。
価値編集は、
人生を納得して生きるためだけの考え方ではありません。
仕事にも、
そのまま応用できます。
自分の価値基準が曖昧なまま働いていると、
判断基準は常に他人になります。
上司に評価される仕事。
目立つ仕事。
失敗しにくい仕事。
もちろん、
それらも大切です。
しかし、
それだけを基準にすると、
判断のたびに迷います。
顧客を優先するのか。
社内評価を優先するのか。
短期成果を取るのか。
長期的な信頼を築くのか。
すべてを同時に満たすことはできません。
だからこそ、
自分は仕事で何を大切にするのかを、
一度選び直す必要があります。
僕であれば、
ただ商品を売るのではなく、
顧客が意思決定できる状態をつくる。
そのために、
相手の状況を調べる。
社内外の人を巻き込む。
提案全体を設計する。
営業は、
目の前の商品を説明する仕事ではなく、
意思決定までをプロデュースする仕事だと考えています。
この価値基準が明確になると、
日々の行動も変わります。
何を調べるべきか。
誰へ先に相談するべきか。
どこまで提案を作り込むべきか。
判断の軸ができます。
自分の価値を持つと、仕事の迷いが減る。
迷いが減ると、行動は速くなる。
価値編集は、
気持ちを整理するためだけのものではありません。
仕事の優先順位と、
意思決定の精度を高めるための技術でもあるのです。

駱駝、獅子、幼子という精神の三段階は、
本書の中でも、
仕事や人生へ応用しやすい考え方です。
要約だけでも流れは理解できます。
ただ、
ツァラトゥストラの言葉そのものに触れることで、
自分が今どの段階にいるのかを、
より深く考えさせられます。
自分らしさとは、完成した答えではなく選び直し続ける姿勢である
転職を決めた瞬間、
僕の人生が完成したわけではありません。
コンサル業界へ移った後も、
迷うことはありました。
学ばなければならないことも多くありました。
新しい知識に触れることを、
楽しめる日もありました。
一方で、
自分の理解の浅さに気づき、
不安になる日もありました。
転職前は、
環境を変えれば、
何か明確な答えが見つかると思っていた部分があります。
しかし実際には、
環境が変われば、
新しい問いが生まれます。
自分は何を強みにするのか。
どのような営業になりたいのか。
顧客に何を提供したいのか。
どのような働き方を続けたいのか。
一つ答えを出しても、
状況が変われば、
また問い直す必要があります。
『ツァラトゥストラかく語りき』では、
人間は、
動物と超人との間に張られた一本の綱として表現されます。
完成した存在ではない。
何かを乗り越えようとしている、
途中の存在です。
僕はこの「一本の綱」という比喩を、
自分らしさにも当てはめられると考えています。
転職をした瞬間に、
自分らしい人生が完成するわけではありません。
環境が変われば、
また新しい問いが生まれます。
何を守るのか。
何を変えるのか。
どのような仕事をしたいのか。
答えは、
一度決めて終わりではありません。
年齢が変わる。
仕事が変わる。
家族ができる。
大切にしたいものが変わる。
以前は成長を最優先にしていた人が、
家族との時間を大切にするようになるかもしれません。
安定を求めていた人が、
新しい挑戦をしたくなるかもしれません。
逆に、
挑戦を続けてきた人が、
穏やかな暮らしを選ぶかもしれません。
どれが正しいかではありません。
その時々で、
自分が何を大切にするかを選び直す。
自分らしさとは、完成した答えではない。
変化する人生の中で、選び直し続ける姿勢です。
僕も、
自分らしい人生を完成させたわけではありません。
今も渡っている途中です。
だからこそ、
過去に出した答えを、
永遠に守る必要はありません。
以前の自分が決めたことでも、
今の自分に合わなくなれば、
編集し直していいのです。
人生は、完成品ではない。
自分の価値を選び直しながら、渡り続ける一本の綱です。
運命は変えられなくても、その意味は選び直せる
ここまでは、
仕事や転職のように、
自分で選択できるものを中心に考えてきました。
しかし、
人生には自分で選べないものもあります。
生まれた環境。
体質。
家族。
過去に起きた出来事。
他人から受けた言葉。
失敗。
失った時間。
どれだけ考えても、
選び直せない事実があります。
だから、
「人生は自分で選べる」
と簡単に言い切ることはできません。
自分で選べる範囲は、
人によって違います。
置かれている環境も違います。
持っている選択肢も違います。
そこで思い出すのが、
『NARUTO -ナルト-』の主人公、
うずまきナルトです。
ナルトは、
生まれた日に九尾を封印されました。
そのため、
里の人々から恐れられ、
孤独な幼少期を過ごします。
その境遇を、
自分で選んだわけではありません。
過去を、
後から消すこともできません。
ただ僕は、
ナルトの生き方を、
過去に与える意味を変えていく姿として見ることができます。
孤独だった経験を、
人を拒む理由にするのか。
同じように孤独を抱える人の痛みを、
理解する力に変えるのか。
起きた事実は同じです。
変わるのは、
その事実を人生の中でどう扱うかです。
もちろん、
ナルトがニーチェの思想を完全に表している、
と言うつもりはありません。
ただ、
選べなかった運命と、
その後に選べる生き方の違いを考えるうえで、
分かりやすい存在だと思います。
運命を変えるとは、起きた事実を消すことではない。
その事実に、人生の主導権を渡さないことです。
選べなかった出来事を、
無理に肯定する必要はありません。
苦しかったことは、
苦しかったままでいい。
嫌だったことは、
嫌だったと認めていい。
それでも、
その出来事が自分の人生で持つ意味まで、
他人や過去に決めさせなくていいのです。
人生を引き受けるとは、強く言い切ることではない
ここまでの話は、
少し厳しく聞こえるかもしれません。
自分の価値を創る。
選択の責任を引き受ける。
選べなかった運命まで、
自分の人生として扱う。
そんなことを言われても、
いつも強くはいられません。
自分で決めた選択を、
後悔する日もあります。
あのとき違う道を選んでいたら、
もっと幸せだったのではないか。
そう考えることもあります。
新しい環境へ進んでも、
自信を持てないことがあります。
過去を意味づけ直そうとしても、
簡単には整理できない出来事もあります。
そんなとき、
僕が思い出すのが、
Mrs. GREEN APPLEの『ケセラセラ』です。
「ケセラセラ」という言葉は、
「なるようになる」
という軽い楽観論として使われることがあります。
しかし、
僕がこの曲から感じるものは、
もう少し違います。
苦しみが消えたから前へ進むのではない。
自分を完全に好きになれたから、
生きられるのでもない。
悩みや痛みが残っていても、
今日を続ける。
迷いながら、
自分の人生を投げ出さない。
そうした強さです。
人生を引き受けるとは、
自信に満ちた言葉で、
「この人生で正しかった」
と言い切ることではありません。
不安な日もある。
逃げたくなる日もある。
それでも、
今日を自分の人生として生きる。
人生を引き受けるとは、迷わなくなることではない。
迷いながらも、今日を自分の人生として生きることです。
自分の人生を愛せない日があってもいい。
すべての選択を肯定できなくてもいい。
まずは、
他人の人生として投げ出さない。
その程度の小さな決意からでも、
人生は自分の手元に戻ってきます。
運命を愛するとは、苦しみを好きになることではない
ここで、
ニーチェ思想のもう一つの重要な考え方である、
運命愛について考えてみます。
「運命愛」という言葉は、
主に『悦ばしき知識』などで示される考え方です。
ただ、
与えられた人生をどこまで肯定できるかという問いは、
『ツァラトゥストラかく語りき』を読み解くうえでも、
重要なテーマだと僕は考えています。
自分の運命を愛する。
この言葉だけを見ると、
起きたことをすべて肯定しなければならないように感じます。
失敗も愛そう。
苦労に感謝しよう。
つらい経験も、
成長につながったと考えよう。
しかし、
僕は運命愛を、
そのような単純なポジティブ思考として受け取りたくありません。
失敗は、
失敗のままでいいと思います。
二度と経験したくない出来事もあります。
誰かに傷つけられたことを、
感謝へ変える必要もありません。
苦しみを美化すると、
今苦しんでいる人に、
さらに負担を与えてしまいます。
それでも、
自分に起きた出来事を、
人生から完全に追放することはできません。
なかったことにしようとする。
思い出さないようにする。
あの時間は無駄だったと切り捨てる。
そうすると、
その経験をした自分自身まで、
否定し続けることになります。
だから僕は、
運命愛を次のように考えています。
運命愛とは、起きたことを好きになることではない。
起きたことを、自分の人生から追放しないことだ。
過去の出来事そのものは変えられません。
ただ、
その出来事を、
今の自分の中でどこに置くかは変えられます。
食品メーカーで働いた時間は、
コンサル業界へ移ったからといって、
消えるわけではありません。
前職の経験を、
古いものとして否定し続けることもできます。
一方で、
そこで学んだことを、
今の仕事で使える形へ編集することもできます。
転職後に感じた不安も同じです。
思い出したくない時間として隠すこともできます。
一方で、
新しい環境へ適応するために、
自分が何を学び直したのかを理解する材料にもできます。
過去の出来事そのものは変えられません。
ただ、
その出来事を、
今の自分の中でどこに置くかは変えられます。
人生は、選んだもので決まるのではない。
選べなかったものを、どう引き受けるかで形づくられます。
選べなかった出来事を、
好きになる必要はありません。
それでも、
自分の作品を構成する素材の一つとして、
置き場所を決めることはできます。
もう一度選びたいかという問いが、今日の生き方を変える
『ツァラトゥストラかく語りき』を読み解くうえで、
避けて通れない考え方が、
永劫回帰です。
もし、
自分の人生が細部までまったく同じ形で、
永遠に繰り返されるとしたら、
その人生を受け入れられるでしょうか。
喜びも。
失敗も。
恥ずかしかったことも。
大切な人との出会いも。
苦しかった時間も。
すべてが、
何度も繰り返される。
この問いは、
とても重いものです。
人生のすべてをもう一度繰り返したいかと聞かれたら、
僕も簡単には答えられません。
もっと違う行動ができたと思うこともあります。
言わなければよかった言葉もあります。
別の選択肢を考えることもあります。
だから、
僕は永劫回帰を、
人生の満足度を採点するための思想として使うべきではないと思います。
僕はこの思想を、
今日の意思決定を見直す問いとして受け取っています。
この選択を、もう一度繰り返したいか。
この働き方を、
何度でも繰り返したいか。
この忙しさを、
毎年続けたいか。
この人間関係を、
何度でも選びたいか。
この挑戦を、
もう一度選びたいか。
すべてに対して、
「はい」と答えられなくても構いません。
一つでも、
「これは繰り返したくない」
というものが見つかったら、
今日の選択を一つ変えればいい。
いきなり会社を辞める必要はありません。
人生を全部壊す必要もありません。
会議を一つ断る。
残業を一日減らす。
会いたかった人に連絡する。
学びたかったことを始める。
周囲の期待ではなく、
自分の理由で選び直す。
永劫回帰は、
過去の人生を採点するための思想ではない。
今日の選択を、
惰性から取り戻すための問いなのだと思います。
僕はこれまで、
結婚。
留学。
転職。
いくつかの大きな選択をしてきました。
どれも、
不安がなかったわけではありません。
完璧な選択だったとも思っていません。
留学中に、
思うように英語を使えないこともありました。
転職後に、
これまでの経験が通用しないと感じることもありました。
結婚生活も、
自分一人の都合だけでは進みません。
それでも、
今の自分なら、
もう一度その選択をすると思います。
すべてが理想どおりだったからではありません。
選んだ後に、
その経験を自分の人生として編集してきたからです。
正しい選択だったから、
もう一度選びたいのではない。
選択した後も、
自分の人生として関わり続けたから、
もう一度選びたいと思えるのです。

永劫回帰は、
一度読んだだけで答えが出る思想ではありません。
それでも、
仕事や生活に迷ったとき、
「この選択を、もう一度繰り返したいか」
と問い直すことで、
惰性になっているものに気づけます。
人生は、自分の作品として創り続ければいい
ここまで読んで、
自分の人生を見直したいと思った人は、
いきなり大きな決断をしなくて構いません。
転職しなくていい。
会社を辞めなくていい。
新しい夢を見つけなくてもいい。
まず、
自分が当たり前だと思っていることを、
三つだけ書いてみてください。
例えば、
・正社員でいるべき
・管理職を目指すべき
・忙しい人ほど評価される
次に、
それぞれの横へ書きます。
これは、誰から借りた価値だろう。
親から教わったのか。
学校で学んだのか。
会社で評価されたのか。
周囲と比べて身についたのか。
自分の経験から、
本当に大切だと思ったのか。
価値の出所が分かったら、
一つだけ選び直します。
捨てなくても構いません。
反対の行動を取る必要もありません。
「自分はこの理由で続ける」
と説明できれば、
他人から借りた価値は、
自分の価値になります。
反対に、
今の自分には必要ないと気づいたら、
明日の行動を一つだけ変えてみてください。
会議の進め方を変える。
予定を一つ断る。
誰かに相談する。
学びたかったことを始める。
大きな決断でなくて構いません。
人生を変える最初の一歩は、大きな決断ではない。
当たり前を一つ、自分の言葉で選び直すことです。
『ツァラトゥストラかく語りき』は、
すぐに生き方の正解が欲しい人には、
少し遠回りに感じる本かもしれません。
しかし、
自分が信じている正解を、
一度立ち止まって考え直したい人には、
長く残る一冊です。
僕たちは、
他人から借りた価値を背負って生き始めます。
その価値を疑い、
古い正解に従わない自由を獲得します。
そして、
自分の価値を創ります。
しかし、
人生には選べない出来事もあります。
その出来事を消すことはできません。
それでも、
自分の人生で持つ意味は編集できます。
人生は、
完全に自由な作品ではありません。
最初から決められている素材もあります。
途中で突然加わる素材もあります。
自分では望んでいなかった色が、
混ざることもあります。
だからこそ、
人生は正解探しではない。
価値編集です。
何を残すか。
何を手放すか。
何を使い直すか。
何に新しい意味を与えるか。
その選択を繰り返すことで、
人生は少しずつ自分の作品になります。
自分らしさは、
見つけるものではありません。
選び、
迷い、
失敗し、
意味づけ直しながら、
創り続けるものです。
僕もまだ、
自分の人生を創っている途中です。
正解を持っているわけではありません。
今後、
大切にするものが変わるかもしれません。
過去に出した答えを、
選び直すこともあると思います。
それでも、
他人が作った正解を歩くだけではなく、
自分の言葉で選び続けたいと思っています。
もし、
この人生が永遠に繰り返されるとしても、
完璧ではないこの人生を、
もう一度選びたい。
そう思えるように、
今日の選択を一つずつ重ねていく。
最後に、
みなさんへ一つだけ質問を残します。
あなたは、自分の人生を「自分の作品」だと言えますか。


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